回路都市は非営利orgnizationsに寄付ん。
市民政治再考 高畠通敏: 世田谷市民大学 政治ゼミ
〈市民社会〉の政治史 第8回ゼミ 6月12日〈月)『市民政治再考』高畠通敏を読んで
UA氏の発表も大変に示唆に富んでいた。特に報告者の疑問点として三点を投げかけていて、そのどれもが老学の疑問点とも重なっていて面白かった。「その疑問のどれもが的を射ているが、簡単に答えの見つかる話ではない、これからの勉強を通して答えを得ていくようにしたい」と馬場先生はいわれた。
これも高畠先生の立教大学での講演の記録である。戦後市民運動史を大変にわかりやすくまとめていて、市民運動の手ほどきともなる講演であった。しかも運動の自己批判も含んでいる点でこれからの指針になると思われる。この講演は、高畠先生の遺言として残されたようなものであると、馬場先生はいわれたのが印象的で、その積りで読み返してみると、なるほどと思われる点がある。
市民運動が利益集団化して、全体を問う視点が希薄化していると、地方に埋没している実態を警告している。一方で補助金に頼るなと厳しい。NPOにしても、市民運動にしても寄付金に対する税制が改善されない限り、無手勝流で戦えといっているようなものだ。政党献金が税金控除対象になっていて、その他の慈善事業全般については、認められていないような後進国ではいかんともしがたい。税制全般の考え方も帳尻合わせに終始しているかにみえる。抜本的な論議は避けているのか、秘密裏にやっているのか不明朗だ。国民みんなが、「うんそうか、それならやろう」という自明の筋道を誰がつけるのだろう。税金は市民運動には、あまり馴染まない議論かもしれないが。
2006年度世田谷市民大学・政治ゼミ(馬場ゼミ) 2006年6月12日
『市民政治再考』高畠通敏
報告者:UA
本書は2003年11月著者が立教大学で行った講演記録であり、全4節のうち後半の2節が教材として与えられている。きわめて平易な表現でありながら、論旨が整理されていてかつ内容も豊富であると思う。以下節ごとに要旨を記し最後に報告者の感想ないしコメントを付するが、最初にT 、 V節を簡単に紹介しておきたい。 大変面白いだけでなく本講演全体を通じる著者の問題意識を知るのに役立つと考えるからである。
T、 U節の概要
○第T節「2003年総選挙の意味」では、講演の直前2003年11月9日に行われた総選挙を振り返り次のように論じられる。
「(マニフェスト選挙といわれたこの選挙では、与党がほぼ現状維持であったのに対し民主党が177議席を獲得し、いよいよ二大政党時代到来かと騒がれたことはわれわれ読者の記憶に新しいのであるが、著者は民主党の躍進にはほとんど触れず)社民・共産の革新勢力が決定的に退潮したことを重視する。 (この選挙で社民は18→6、共産は20→9とそれぞれ大幅に議席を減らした。)こうした護憲勢力の瓦解の原因は、彼らが平和憲法に依りかかり護憲のスローガンを唱えるだけで、 「平和憲法を前進させ具体化」するために積極的に何一つ行なって来なかったことにある。世界平和に貢献するためには、 「憲法があるから海外派兵は出来ない」と弁解したり「余計に金を出すから勘弁しろ」ということでなく、たとえば数万人の規模の平和部隊を途上国に送ったり、欧米諸国の軍事予算に匹敵するほどの額を対外援助に振り向けるなどして、貧困からの脱出、環境問題、エイズやがんの撲滅といった世界的課題の解決にリーダーシップを取る必要がある。
(マニフェスト選挙についてもきわめてきびしく)マニフェストの作成過程が民主的とはいえない上に、結局のところトップや指導者のリーダーシップが問題にされていて、強権政治や小泉首相のような独裁型の政治家が一番いいということになってしまう。また、一度決めたマニフェストに最後まで縛られるとか、議員間の議論が却って封殺されるなどの問題があり、さらには野党� ��政府に対してマニフェストの履行を迫るということが、自らが反対の政策の実現を迫ることになるという矛盾にもつながる。今回の選挙ではスポットライトを浴びたマニフェストの陰で、市民政治の推進は後景に移動させられてしまったのである。
80年代以降欧米諸国で市民政治の実現が多くの人々の希望の灯し火となっているのに反し、この選挙で見られたごとく、日本ではそれが単に「大都市の人間に支持される政治」という意味に堕しているのではないかと強く危倶されるので、 (以下、この講演で)市民政治の意味と理念を確かめておきたい。」
○第U節「市民政治の理念の歴史」においては、西欧社会における市民政治の歴史が語られる。
「市民政治とは、古代ギリシャやローマの自治都市の理念によって現代の社会を再生することである。それは市民が自由な個人であることを前提とする。そして、マルクスのように資本主義社会の弊害を乗り越えること を目標とするが、同時に市民の連携によって強権政治や独裁を抑制することも目指している。そのため市民「社会」でなく、市民「政治」の表現を用いることが適当である。
同質な人間が集まったムラ社会ではなく、多様な人間・部族が集まったギリシャのポリスにおいて民主政治が生まれたが、そこにおいて論理的な対話や弁論によちて紛争に決着をつけるという基本的合意が形成された。
しかし古代ギリシャのデモクラシーもソクラテスの裁判に見られるように暴走した。その理由としては市民教育の問題もあるが、基本的な人権や法の支配という観念がなかったことが挙げられる。古代市民政治のいまひとつの問題点は、市民が特権的な身分でありそれ以外の奴隷・居留民・蛮族を差別していたことである。
近代の国民国家を古代の自治都市をモデルに再生する試みは17 - 18世紀の西欧において行われた。その設計者ジョン・ロックは、市民主権・自然権としての人権・法治主義の原則を打ち出したが、政治形態としては社会の規模を乗り越えるため議会による間接自治システムを採用した。しかしロックの描いた市民社会(civil society)はアダム・スミス等を経て、次第に市場経済と資本主義社会を指すものへと変わり、ヘーゲルやマルクスの批判を受けるようになる。
現代の市民政治は、この近代市民政治を受け継ぐ形で展開してきたが、後者は「ブルジョア市民社会」とよばれることに見られるように、市民が特権的な階級の閉鎖性を乗り越えられず、また国家間、男女間の閉鎖性を長期間温存した。こうした閉鎖性があっては、国家権力や資本主義の営利性を批判する市民活動に限界が生じるのは当然である。その結果、経済社会は独占企業システムへ、市民国家は植民地を持つ帝国主義国家へと変貌してしまったのである。
V 戦後日本の市民政治
○第1期
戦後の日本政治に「市民」が登場したのは1958年警察官職務執行法(警職法)改正反対運動としてであった。ついで60年安保改正に際し、革新政党や労働組合による組織化された反対運動とは別に、すべての人が「市民として」参加できるデモ行進へとつながっていった。この第一期の市民運動は、社会主義・共産主義政権の樹立を目指す政治運動ではなく、 「暴政に対する抵抗権の行使」あるいは「良心や信条に基づく個人的な抵抗」として発生したものである。さらに1965年「べ平連」が組織され大きな動員力を持つようになるが、同時期に起きた世界的な反戦運動の波の中でも「個人原理」を謳ったところがユニークであった。
こうした運動は、西欧に遅れてアジアではじめて起こった「遅ればせの市民革命」―丸山真男は日本には本格的な近代社会は成立していないとしていた―と、欧米に先駆けての「大衆社会化の中で公共性が解体した市民社会の再形成」という二重の意味合いを持っていた。その後大都市での住民革新運動も加わり、情報公開・高齢者医療保護・シビルミニマムなど、地方自治体ひいては国の政策に市民運動は影響力を発揮するようになった。
このころからマルクス主義者たちにも市民運動は影響を及ぼし始め、市民社会という語を忌避していた(ドイツ語で「Buergerlich Gesellshaft(ブルジョア社会)」と言うこともあって)知識人たちにも、 1980年前後にハーバーマスが「Zivil Gesellshaftなる語を造語するに及んで広く使われ出した。
○第2期
1970年代の中ごろから市民運動の目的は「日本における市民社会の形成にある」ということが謳われだし、市民運動は第2期に入った。この時期市民運動は政府に対する抵抗から、地域環境保護、保育所建設、食品安全性など、大都市住民が生活内容を質的に充実させる方向へと変わって行った。東京はじめ大都市周辺で組織された「生活者ネットワーク」は地方議員を送り出すようになった*。生活者ネットワークは「生活者市民社会」の構築を目指しているが、その理念型は、 「地域での日常生活に腰をすえた家庭の主婦」であり、かつての「ブルジョア市民社会」が「企業の生産活動に軸足を置いた男性」であったのと対照的である。
*現在「東京・生活者ネットワーク」は3人の都議、 51人の市・区議を擁している。
○第3期
90年代に入ると市民運動は更なる広がりを見せ、 1998年のNPO法の成立によって、文化・スポーツ・福祉などの活動を含む「非営利の集団活動全体をカバーする言葉」となり、国家的な保護を受けるものとなった。
W 日本の市民政治発展のための戦略
○市民運動が直面している問題(1)―利益集団化
市民団体が公的に認知され法的な保護を受けて、日常的に活動するようになったことは歓迎すべきだが、それが直ちに市民政治の発展をもたらすとはいえない。古くからあるNPOの一種というべき組織(私立大学・宗教法人・労働組合など)が、初期の理念はともかくとして、政治権力や企業システムを批判し修正する機能を現在どれだけ持っているかは疑問であるのと同様、あらゆる市民集団も巨大化し永続するうちに利益集団化して権力と妥協するようになる。体制側から取り込まれる危険も大きい。
これとは別種の問題が、たとえば生活者ネットワークが送り出す議員を自分たちの運動の代理人と位置付けていることにも見られる。そうではなくて、議員は同ネットワークのみならず地域住民全体の代表であるとの視点を追加する必要がある。そのためには自己の運動目的(生活者ネットワークの場合主として環境問題)以外の地域全体の多面的要求を汲み上げなければならない。
こうした問題に対する答えは簡単ではないが、市民集団は少なくとも:
1.公的な補助金や特定の大口寄付などに頼らず、財政の自立を図るべきであり、運動で食べる人をできるだけるだけ少なくするべきである。また、
2.市民運動や市民団体の横のつながりを広げることによって、狭い個別問題に没頭するのでなく、全体として拡大しながら国政全体にかかわる問題に対し声を上げるべきである。
○市民運動が直面している問題(2)―全体を問う視点の希薄化
現在の市民運動は、 「原点に立ち戻って問題を問う力が弱くなっている」。これでは「現代社会のシステム全体を根本的に変革していく力は失われ」、医師会・農協といった従来の利益集団と変わらなくなる。
これを乗り越えて市民運動・市民政治が「21世紀の世界を切り開く力」となるためには、いま市民運動の合言葉となっている「生活者」概念を如何に定義するかにかかっている。生活者とは、安泰で豊かな生活を追及するだけのものであってはならず、 「安楽を求めて『生活保守主義』へと傾斜してゆく大衆に対抗して、 『生活の革新』を求める」ものでなければならない。たとえば環境問題・ごみ問題は、個別の公害問題にとどまらず、多資源消費型の生活の変更を迫る地球的な問題であること、そして「アメリカのような国のあり方に対する批判の眼」や国益やナショナリズムを越えた地球的共生という視座を養うべきものであるし、また女性中心の運動は女性の地位と役割の変更を促すべきものである。こうした生活の革新によって、市民政治が古代・近代の市民政治の限界-それは男性の優位、先進国の後進国に対する優位を当然視していた―を乗り越えなければならない。
○市民政治のための政治改革
市民政治の構築のためには現在の政治構造を以下のように抜本的に改革することが必要である。
1.中央集権の見直しと地方自治権の拡充
これは単に「分権の不徹底さを衝くだけでなく、中央政府の統治権の基本にまで遡るもの」であるべきである。この点、基本的統治権は自治体にあり中央政府は自治体が明示的に委譲した事項についてのみ統治の権限を持つと定めた「ヨーロッパ地方自治憲章*」が注目される。
* ヨーロッパ地方自治憲章第4条 1.地方自治体の基本的な権限と責務は、憲法またはこれに準ずるような基本法において規定されなければならない。 (後略) 2.地方自治体は、法律の範囲内において、自己の機能に属さないとされた事項および他の地方自治体の機能とされた事項以外の事項については、その処理に関し、完全な裁量権を有するものとする。 3.公的部門が担うべき責務は、原則として、最も市民に身近な公共団体が優先的にこれを執行するものとする。 (後略) 4.地方自治体に与えられる権限は、原則として完全かつ排他的なものでなければならない。 (後略)
2.官僚優位の政治システムの改革
戦後も温存された鉄の三角形と俗称される政官財の権力複合体の解体なくしては民主政治はありえない。 中央の官僚機構こそが「不動の統治政党」であり政府・自民党は彼らの敷いたレールの上を走っているに過ぎない現状は変革されねばならない。
3市民の政治参加権の保障
現在の議会システムでは、ポピュリズム的演出や世襲が横行する中で、いったん選挙で選ばれた政治家は次の選挙まですべての決定権を独占することとなる。これを打破するには、一定数の有権者の発案に基づく住民投票や国民投票によって、市民が重要事項の決定に直接かかわる制度が必要である。現に欧州やアメリカではたびたび住民投票が行われている。日本では1995年新潟県巻町で初めて原発誘致住民投票が行われたが、住民投票に決定権がない、また多くの提案が地方議会により握りつぶされるなど問題が多い。
○新しい市民政治型の憲法に向けて
以上のほかにも、女性の権利の向上、外国人の権利の保障など課題は多いがいっこうに進んでいない。この現に貫かれており、過去半世紀に先進国で進展した市民政治の成果がまったく取り入れられていない。
革新勢力が「護憲」という守勢の闘争をしてきたのは間違いであり、これでは押し付け憲法論や憲法進化論を押し出す改憲派に対抗できない。第9条は守られるべきだが,それを「核としながら前文をはじめとしてすべての条項に、市民政治の目標と精神を浸透させた新しい憲法を提示する」べきだ。
世界は、先進工業国における社会の解体、南北格差の拡大、暴力の横行、地球環境の悪化や資源の枯渇といったかつてない問題に直面している。他方社会主義は完全に無力化している。古代、近世と二回にわたり失敗した歴史を持つ市民政治が必ず成功するとは言い切れないが、 「人類の連帯と共生の精神を持って課題に立ち向かおうという市民政治の実現以外に」残された道はないのである。
報告者の疑問・感想等
1.)本書は50ページあまりの小冊子であり市民政治の入門書の入門書といえよう。本書を通読してからたとえば「市民の政治学」を読むとより理解が進むように思われる。
2.)市民社会・市民政治の重要性についてはかなり理解できたと思うが、細部はさておき、根本的な疑問が三つある。
(第一の疑問) (本書に限らず)市民政治とは国家という政治システムに対置され*、これに対抗するものということが前提とされているように思われる。しかし日本を含む現代の民主主義国家では、少なくとも建前と形式においては、第一回路**として市民によって選ばれ、その意思を反映することを期待される公的な政治システムが存在しているはずである。それが上手く機能しないというのであれば(現に欠陥が多いわけであるが)、そのシステムの欠陥を是正することこそが最緊急の課題ではないのか。数年に一度代表を選ぶだけが市民にとっての公的政治への唯一の参加であり、政治システムが私的かつ特定の思想と主張をかなり硬直的に掲げる政党なるものを中心として運営されるという、 17世紀以来ほとんど変わらない古い制度がなぜいつまでも不変のまま温存されなければならないのか。たとえば政党に主要政策ごとに一定の要件を充たす形で、広く市民(党員ではない)の声を聞く(あるいは市民を説得する)場を持つことを義務付けたり、 「党議拘束」などという制度を(すべてではないにせよ)廃止させたり、選挙運動期間をもっと長くして候補と市民の対話が行われやすくしたり、選挙一つとっても制度的に改善できることは多いはずである。また官僚制が問題であるならば、主要なポストを政治任用として、政権交代ごとに交代させることも出来るだろう。それが不可能だ、夢物語だといって、内容も定義もはっきりしない漠とした市民政治なるものに第二回路**としての期待をかけて、欠点だらけの第一回路は放置しておくのはまさに本末転倒ではなかろうか。少なくとも学者や有識者はロック以来の旧態然たる現行代議制システムの改良を積極的に提言して政治の場に持ち出すべきではなかろうか。
* 「市民の政治学」 96ページ図3参照
**第一回路、第二回路については「市民の政治学」 184ページ参照3.) (第二の疑問)市民社会・市民政治の発祥地たるギリシャ・ローマ、あるいは17・8世紀の西欧における「市民」とは経済的に自立し、かつ一定以上の教育・教養を持つ比較的少数の層であった。著者が「市民運動は財政的に自立すべきだ」、あるいは「ブルジョア市民政治は大衆化の進展とともに解体された」と述べているのは、まさにそれを裏書している。とすれば、市民政治の推進者たちは、暗黙のうちにエリート層・知識層のリーダーシップと参加が成功の要件だと想定しているのであろうか。それとも本気で草の根レベルの「生活者」の大量参加が、それも生活改良型や個別案件型でなく政治改革や憲法改正といったいわば「大政治」の分野への参加が、可能だと信じているのであろうか。言うまでもないことであるが、市民政治が� �の力となるためには多数の市民の参加が不可欠であろう。
60年安保以後半世紀近くの間、大規模な市民の動員がほとんど見られたことがなく、市民的不服従や抵抗の実績もきわめて乏しいわが国において、公的な政治制度*としての裏づけのない市民運動に過大な期待をかけるのは戦術的にも誤りではないだろうか。
* 「市民の政治学」第5章に述べられているDeliberative PollやConsensus Conferenceなどはき
わめて魅力的であり、わが国においても有効性が高いのではないかと思われるが、これらは第二回路の市民運動ではなく、第一回路の公的政治制度改革の一環として採用するべきものと思う。
4.
語弊があるかもしれないが、そもそも市民運動の発想とは、最近までの日本人が「お上意識」や「長いものには巻かれろ」的メンタリティを強く持っていたことから、 「黙ってばかりいると損をする」として権利意識の覚醒や自己主張が推奨され始めた時代のものではないだろうか。ところが今やわが国民の間には、こと自己の利害に関しては黙るどころか、あくまで粘って少しでも得をするという考え方が優勢である。もちろん私的空間において市民がたとえば企業を相手に大いに自己主張をしたり、役所を相手に(先般の国有地温存違法判決のごとく)裁判で争ったりすることは大変結構と思う。しかし、言葉にこだわるようだが、それが「市民政治」であろうか?
5.)市民社会の公共性という概念については私にはまだよくわからないが、単純化して言えば、アテネにおけるそれは市民全員が負っていた私的生活以外の公的義務(政治的義務といっても良いかと思う)をさしたのであろう。17-8世紀の西欧においては、直前まで君主等の支配者に独占されていた政治を主権者として自分の手におさめた市民が、それにともなって自らが必然的に負うことになった政治への参画の義務と、それに係わる公的責務をさしたのではないか。 (そしてそれが崩壊して行ったとすれば、その原因は本書に述べられているような「資本主義・市場経済の発達」や市民の間に根強く残った「差別体質」だけにあったのではなく、 「政治のことは政治家に、その道のプロに任せよう」という、代議制政治にとって避けることの難しいいわば宿命だったのではないだろうか。)
これとは別に公共性には、公共の場(たとえば世田谷市民大学のような)における市民同士の交流・討議・意見発表などの推進という意味や、公共道徳・社会道徳を高めるという意味もありうるであろう。
いずれもきわめて重要であり推進するべきだと思うが、それらを政治の改革に結びつけるためには、市民政治というやや不確かな別種の回路を作ろうとするのではなく、前述の通り現存する政治システムを改良する方向での努力を始めることが必要だと考える。司法においては裁判員制度がスタートした。次は立法や行政の番ではないだろうか。 以 上
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