カナダ政府はメディアラインは何ですか
ベーシックインカム国際情報: 所得保障を受けても人は働き続けた! カナダの町の実験を検証
【所得保障を受けても人は働きつづけたことが判明!】
貧困のない町?
カナダで唯一の所得保障実験がついに検証を受ける
(The Dominion: news from the grassrootsより)
ヴィヴィアン・ベリック
(ユーコン州ホワイトホース在住のフリージャーナリスト)
すべての住民に政府が生活費を支払っている町を想像してみて欲しい。それがどんな人であれ、何をしているかにかかわらずである。1980年代初期のソヴィエトの村が思い浮かぶだろう。しかし、この実験はもっと家の近くで行われたのだ。70年代の4年間にわたって、マニトバ州ドーフィンの町の最貧層が連邦と州政府から最低限の所得保障を与えられたのである。しかし、実験の結果として35年後に残っているのは、ウィニペグの文書館で埃を被る2,000箱の書類がすべてである。
埋もれていたデータにアクセス
この小さな町での4年間で何が展開されたのかはほとんど知られていない。それは、集めたデータを仕舞い込まれ、分析を妨げてきたからである。
しかし、5年間のたたかいの末の2009年、マニトバ大学の健康科学教授のエヴリン・フォージェイが、これらら書類箱へのアクセスを獲得したのである。データがコンピュータ化されるまでは、体系的な分析は不可能だった。にもかかわらず教授は、人口調査、健康記録とプログラム受給者の証言を使って、話を繋ぎ合わせ始めた。これまでに分かったところでは、プログラムはたくさんの成功を数え上げることができただろうという。
貧困ライン以下の個人に所得保障
1974年以来、ピエール・トルードーのリベラル派と初めて選ばれた民主党の政権は、貧困ライン以下に落ちいったすべての個人と家族に給付を行った。このプログラム(ミンカム:Mincomeと呼ばれた)のもとで、約1,000世帯が月々小切手を受け取った。
特定の個人しか資格のない生活保護と違って、最低所得保障プロジェクトは、すべての人が対象とされた。それは、カナダで最初の、そして今日まででは唯一の、オープンな社会扶助プログラムであった。
今日の保守的な政治的風潮のもとでは、福祉国家の非効率と無駄についての政府とメディアの常なるレトリックが横行し、「ミンカム」プロジェクトは、おとぎ話にも足りないもののように聞こえる。
4年間にわたって、貧困ライン以下で暮らす人は誰であれ、何の調査を受けることもなしに、所得を増やすための小切手を月々、受け取ったのである。シングルマザーは子供を学校に行かせ卒業させることができ、低所得家庭は、月々の家賃を払うのに慌てることがなかった。
アミー・リチャードソンにとって、子供の学校の本を買うことができることを意味した。彼女は、夫が仕事上の障害休職に入った1977年に、このプログラムに入った。その頃は、自宅で営む美容院での1.5ドルのヘアカットの稼ぎで、3人の娘を育てるのに汲々としていた。
貧困ラインが年2,100ドルだったこの頃、年1,200ドルの増収は、ありがたい補助だった。
「この追加のお金は私にとって、普通ならできなかった、子供たちに何かを買ってやることを可能にしてくれました。何かを見せたり、ちょっとしたぜいたくを」。現在84歳のリチャードソンは電話で答えた。
実験の一部として、ミンカム受給家庭に取材するために研究者が送られた。ミンカムを受給しなかった近隣の住民からは、受給した家庭と比べるためのデータが取られた。しかし、政府が1978年にプログラムを止めた後は、政府はデータをお蔵入りし分析されることはなかった。
「政府がこのプログラムを導入した時には、これは先行プロジェクトであり、10年後には本格的に展開され、すべての人が対象となるものと考えていた」と、フォーゲットは言う。「政府は、これは普遍的なプログラムとなると考えていたのですが、その構想は頓挫しました」
不況財政で突然の中止
ミニカムプログラムの期間中、連邦・州政府は当初、数百万ドルの支出を想定したが、共同で、1,700万ドルを支出することとなった。
さらに数年続けるとされながら、このプログラムは、不況がカナダを見舞った1978年になって急に中止された。不況は年10%の物価上昇を引き起こし、ミニカム受給世帯への支出も増大した。
失業保険制度の修復のために既に防衛的になっていたリベラル党は、プログラムを中止し、集まっていたデータを分析するための追加費用も出さなかったのである。
「政府がこのデータを分析しなかったというのは、きわめて不運であり奇妙なことだ」、とミニカムプログラムの調整に当たったロン・ハイケルは語った。彼は現在アメリカで、普遍的健康ケアプログラムの推進のために働いている。
彼は「政府当局者は、データを分析するために支出したくも、プログラムが有効に働かなったと考えたことを示したくもなかった」、と言う。彼は今なお、所得保障プログラムの強力な提唱者である。「分析が行われ、データが好ましくなかったなら、ミンカムを支持した人は、分析のために更なる費用をかけていっそう恥をかくことになるのを心配したのだ」と言う。
所得保障があっても人は働き続ける。
しかしフォーゲットは、労働関係データから有用な情報を引き出している。それは、このプログラムの積極的な結果を確認できるものだった。
ミンカムプログラムは最初、労働市場の実験と考えられた。町の全員が所得保障を受けた場合に何が起こるかを調べようとしたのである。それでも人が働き続けるかどうかを調べようとしたのである。
人は働き続けることが判明したのだ。
ミニカムの結果として以前よりも働かなくなったのは、ドーフィンの労働力の2つの階層(新生児の母親とティーネイジャー)のみであった。新生児を抱えた母親たちは、家で子供ともっと長く居るために仕事を止めた。ティーネイジャーは家計を支えるプレッシャーが減ったため、仕事を減らした。その結果、彼らは学校に行く時間が増え、卒業する者が増えた。仕事を続けた者は、やりたい仕事をより選べるようになった。
ハイケルは「人々は最初に、巡り合せのような仕事に就くのではなく、適職を待つことができるようになった」、と言う。
ある者にとっては、何とか生きていくための仕事に就く機会を意味した。
ヘンダーソン夫妻が1970年に、幼い子供2人と一緒にドーフィンにやってきた時は、破産状態だった。妻のドリーンは、ここで夫が仕事を見つけるのは難しいと思い、彼女の郷里へ移ることを提案した。彼らが着いた時は最悪だったのだ。「夫は良い仕事が得られず、私は全然だった」と、彼女は電話で語った。
しかし、それは1978年までのことだった。ミンカムを2年間受け取った後、夫は学校の守衛の仕事を獲得し、28年間務めた。「ミンカムなしではどうやって生き延びられたか、ドーフィンに住み続けられたどうか判らない」と、彼女は言う。
住民の健康を改善した所得保障
ミンカム実験は労働市場の動きを調査するための情報を得ることを意図したものだったが、フォーゲットは、ミンカムが人々の健康にも重要な効果をもたらしたことを発見した。教授は2年前、ミンカムの健康への効果を評価するために、ドーフィン住民の健康記録の研究を開始した。
ミンカムの実施期間中、病院の受診者は8.5%減少した。労働関連の怪我での受診が減り、自動車事故と家庭内暴力のための救急患者も減った。精神科の受診は大幅に減った。
「これが何故かは容易に判る」と、フォージェイは言う。「病院を歩き回れば、治療時間の多くが貧困の結果であることが明瞭だ」。
人々に経済的な自立と暮らしのコントロールを与えるならば、こうした事故や病気は減少すると言う。今日の条件に当てはめるなら、8.5%の受診者の減少がカナダ全体で起きれば、政府は年間40億ドルの支出を節約できると、教授は計算する。そして、40億ドルとは、連邦政府が社会福祉と芸術後援を削減しようとしている金額なのである。
健康データを分析した教授は現在、費用対効果の分析を行い、所得保障を実施した場合に連邦政府が削減できるはずのものを明らかにしようとしている。教授は、カナダの低所得層すべてのための所得保障を研究している上院の委員会に協力した。
カナダ政府の所得保障への突然の関心にも、教授は驚かない。
ジェイムス・マルヴエール(サスカチュワン大学の社会福祉教授)によれば、10年か15年毎に、所得保障制度への関心が新たになるという。彼は、所得保障制度について研究し、多くの著作があり、ベーシックインカム国際ネットワーク(BIEN)のカナダ支部の一員である。
所得保障制度は、ブラジル、メキシコ、フランスで行われており、アメリカのアラスカ州にもあるのである。
マルヴエール教授によれば、人々は知らないかもしれないが、カナダにも、かすかな形での所得保障があると言い、税法上の児童扶養控除、高齢者への所得保障、低所得者へのささやかな消費税割引制度を指摘する。
しかし、所得保障の対象を広くすればする程、貧困解消には時間がかかることになる、と教授は言う。
彼は、全国民に自動的に現金給付する所得保障として「デモ・グラント」(*)モデルを選好している。この種のプランは、高所得層に年度末に納税のオプションを与えて低所得者が給付を受けるものである。このようなもののモデルは、それが全員に給付されるが故に、広範な支持を受ける可能性がある、という。所得保障は、貧困層へのマイナス所得税(**)の形でも可能である。毎年の稼ぎに直接に比例して現金での戻しを得られるものである。
(*) 1967年にノーベル賞受賞エコノミスト、ジェイムス・トービン* がUBIについての最初の専門的な論文を発表しているが、1972年の大統領選挙の(民主党候補者)ジョージ・マクガバン** にUBI(この時は「デモ・グラント[demogrant]***と称した)を選挙キャンペーンで訴えるよう説得した。詳しくは訳者のブログ (P.V.パリース最新書邦訳 参照)
(**) 上掲ブログ参照
生活保護制度の割れ目
所得保障それ自身は、貧困を解消するものではないが、貧困の程度を軽減するには効果がある、という。
保守党上院議員ヒュウー・シーガルは、この種の所得保障の大物支持者だった。現在、州・準州で実施されている各種社会扶助制度を解消できると主張した。児童扶養控除、生活保護、失業保険、高齢者所得補助を管掌する別々の役所を持つのではなく、単一の所得保障制度に統合できるとした。
それはまた、誰でもが支援を申請できることを意味する。多数の人々が現状の生活保護制度の割れ目からこぼれ落ちる、とフォーゲット教授は言う。誰もが生活保護を受けられる訳ではなく、学校へ行ったり仕事をしたりすると「罰」を受けることがある。彼らが生活保護から受給する金が回収されるのである。
所得保障がより広範な人々を対象とし、他の社会福祉制度よりも効率的であるならば、何故カナダは導入していないのだろう。もっとも大きな障害は、貧者についての否定的なステレオタイプの蔓延である。「何の引き換えもなしにお金を与えるべきでないという、強い感覚がそこにはある」、とマルヴェールは言う。
所得保障の提唱者は、そのような制度をすぐに実現できると考えてはいないが、カナダもいつの日か所得保障のメリットを検討するようになるという希望を持っている。
その費用は「人が想像することができないようなものではない」、とフォーゲット教授は言う。「最低所得保障制度は、社会扶助を提供する優れた方法であるが、ただ政治的に実施が難しいだけのことだ」
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